フォト

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

記録として①

赤ちゃんがいなくなった。

全ての記憶を記録として残しておきたいと思う。
1/20(火)妊婦検診。特に異常なし。
この検診までに一度風邪を引いて受診していた為に先生とその話をした。
そして、出血などはないか聞かれた。「ないです」
ただ、気になっていた事があった。水っぽい何かが出るような気がする。チラッと話したが、先生も聞き流した感じ。
大丈夫なんだと自然と思ってしまった。
その日、実家に寄って母にエコーのビデオを見せてあげた。
「これが足、これが胃だって」と言いながら。
私も母も「すごいねー」と。
その夜、旦那もエコーを楽しみに寝る前に見ていた。

1/21(水)朝。8:30頃トイレに入った。
ふと気が付くと大量の出血有。怖くなってすぐに病院に電話をした。
旦那に電話をし、すぐに病院へ走った。
車を運転するのも怖かった、けどタクシーを待つのも怖かった。
一刻も早く病院へ着きたかった事から自分で運転し病院へ。
その間も出血は続いていた。
以前の出血の時、神様は助けてくれた。だから今度きっと助けてくれるお願い!と祈りながら病院へ。
病院へ着くと助産師さんに状況を聞かれながら、心配で仕方ない。
先生が病棟から降りてきてくれてすぐに診察。

・・・・「胎胞形成かぁ・・・」先生のため息とともに診断が出た。
その段階では事の重大さが私には飲み込めなかった。
エコーの画面を見ての説明が始まった。
胎胞形成とは、子宮の入り口がなんらかの原因で自然に開いてしまい、そこから赤ちゃんを羊水と一緒に包んでいる羊膜が子宮の外に出てきてしまった状態で、子宮の入り口をはさんで砂時計状になってしまって居る事。
赤ちゃんはとても元気に生きていた。
事の重大さと、この状態だと赤ちゃんを助ける事が難しい事を知らされる。
この時私は18w4d。
現在の最高の医療機関でも26wの早産であれば赤ちゃんの命は助かるが、何らかの障害は免れない。
そして、現在の日本では22w以降の赤ちゃんでないと人間として扱われないという法律がある。
その為に、今の私の週数を考えるととても難しいとの事。
たとえ22週まで何とかもたせる事ができても、そこから赤ちゃんが助かる週数まであと4週もある。
一度子宮外に出てしまった羊膜は何らかの感染を起こしている事は間違いない。
たとえ、今薬で少し戻ったとして、羊膜を全部子宮内に戻し子宮の入り口を縛る手術をしたとしてもその雑菌までも一緒に閉じ込めてしまう事になり、いくら消毒をしても感染をゼロにする事は不可能。
そうなれば、赤ちゃんばかりか、母体が感染症を起こし危険な状態になる。
手術をした場合、必ずお腹の張りが出てきておさまらなければ縛っても抜糸しなければならなくなる場合もあると。
そして、22wまでそれがもつかどうか、26wまだもたせられるかどうか。
そしてなにより、今この段階で点滴(子宮収縮抑制剤+抗生剤)で羊膜が子宮へ奇跡的に戻り手術が出来る状態になるかどうか。

先生は一生懸命説明をしてくれました。
私は怖くて、不安で、本当にたまらない気持ちだった。
何を言われても、どう説明されても、ただただ泣く事しか出来なかった。
あんなに元気に動いているのにどうして殺さなければいけないのだろうだって生きてるでしょ?どうして・・・どうして・・・
ただそればかりが頭の中でぐるぐる回っていた。

とにかく今すぐ入院して点滴を始めることになった。
この段階では、先生は私に今回はあきらめて次にいい子を・・・というような話をしていたように思う。
ただ泣く事しか出来ない私を見て、先生は一生懸命「人生にはいろいろあるけれど・・・」と言ってくれた。
「そうだよね、そう。わかってる。わかってるけどでもまだ生きてるもん。私の赤ちゃん」言葉には出来なかったけど私の心の中はこの繰り返しだった。

点滴をして、状態がよくなれば手術が出来る。
その前に、どこかで破水しているかもしれなかった。
破水した場合にはもうどうにも出来ない。

点滴が始まった。濃度の濃い子宮収縮抑制剤。
手の震え、動悸、頭痛、熱感が急に襲ってきた。
入院や手術に際しての同意書等に手が震えて名前がうまく書けない。
安静度Ⅰ(トイレも行かずに常に寝た状態での安静)。
食欲なし。
産婦人科病棟に入院したが、この精神状態を考えて離れた個室に入れてくれた。

お昼過ぎに旦那が病院にやってきた。
旦那が来てから、もう一度先生が詳しく説明をしてくれた。
その間も寝たきりで泣くことしか出来ずにいた。
この時、先生ははじめ難しいといっていた手術をなんとかやろうと
言ってくれていた。本当にありがたかった。
私たちのがんばりたいという気持ちをくんで、やれるだけのことをやってくれようとしてくれていた。
今晩一晩点滴をしてみて、少しでも羊膜が戻れば手術。
助産師さんが代わる代わる病室に様子を見に来てくれては一生懸命励ましてくれた。お腹に手をかざしてくれた助産師さんもいた。
ありがたくて本当に涙が出た。
でも、優しい言葉をかけられるたびに余計に涙が止まらなかった。
不安で、不安で、体の痛みならいくらでも耐えられるのに赤ちゃんを苦しめていると思うとつらくてしょうがなかった。
検温、血圧、心音の確認。心音を聞くたびにつらくなった。
まだ、生きてるね。まだ、元気だよね。

夜、ベッドでずっとじっとしているため腰の痛みが出てきた。
横向きになろうとするが、少しでも動くと出血だかなんだか出てくる気配のために我慢することにする。
点滴の副作用で頭痛がひどく冷やしても眠れない。
明日の手術に備えて、睡眠薬をもらっていたが飲んでも全く効かない。
それよりも、少しでも体を動かすと何かが出るのが気になり何度かナースコール。
どうやら、破水らしき様子。不安で余計に眠れない。
量が増えてきたので、点滴の濃度をもう一ランク濃い物に変更。

もう私にはどうすることも出来ない、神様に祈ってみても、泣いてみても、心を落ち着かせようとしてもどうすることもその時の私にはできなかった。
ただただ、お腹の赤ちゃんに「ごめんね」という事しか出来ずにいた。
ほとんど眠れないまま朝を迎える。
出来るかわからない手術に備えて、当日は朝から水分のみ。
入院してから何も食べられなかったが、水分だけは取れた。
アクエリアス350ml。飲んだ。
飲んで暫くすると、急に吐き気を催した。
固形物は一切なく胃液らしきものが今取った水分と一緒に全部出てしまった。
気分が悪く、ナースコール。
点滴の副作用らしかった。

2018年9月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

ブログフレンド

恋太郎

  • Image581
    2008年5月28日生まれ フレンチブルドッグ  家の家族、恋太郎です。

沖縄物

  • Shisa
    沖縄限定物、沖縄物を集めてみました

お気に入りサイト